松山地方裁判所 昭和53年(ワ)66号 判決 1992年7月31日
原告 井上勝
被告 愛媛県・御荘町・城辺町
代理人 栗原洋三 田尾照明 志賀和之 安田鎮夫 近藤俊三 内海洋治 ほか一五名
主文
一 原告の被告らに対する請求をいずれも棄却する。
二 訴訟費用は原告の負担とする。
事実
第一当事者の申立
一 請求の趣旨
1 被告らは原告に対し、各自、金一億七八九四万八六六二円及び、内金九一万二〇一〇円に対する昭和四三年四月三〇日から、内金六五八万八〇〇〇円に対する同四四年四月三〇日から、内金八二一万一〇五二円に対する同四五年四月三〇日から、内金九五四万八九〇〇円に対する同四六年四月三〇日から、内金七七一万五七〇〇円に対する同四七年四月三〇日から、内金一八五八万六三五〇円に対する同四八年四月三〇日から、内金一九五八万四七〇〇円に対する同四九年四月三〇日から、内金一八〇〇万七五〇〇円に対する昭和五〇年四月三〇日から、内金二三三六万一〇〇〇円に対する同五一年四月三〇日から、内金二一四一万四五〇〇円に対する同五二年四月三〇日から、内金二三一二万一五五〇円に対する同五三年四月三〇日から、内金二一八九万七四〇〇円に対する同五四年四月三〇日からそれぞれ完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。
2 訴訟費用は被告らの負担とする。
3 仮執行の宣言
二 請求の趣旨に対する答弁
1 原告の請求をいずれも棄却する。
2 訴訟費用は原告の負担とする。
3 担保を条件とする仮執行免脱の宣言
第二当事者の主張
一 請求の原因
1 原告の「のり養殖」と被害
(一) 訴外御荘町漁業協同組合(以下、御荘漁協という。)は、愛媛海区宇特区第二九六号として、第一種区画漁業のり養殖業の漁業権を有している(同漁業権は五年毎に更新され、現在の漁業権は昭和四九年四月一日に設定)。
(二) 原告は右漁業組合の組合員であり、昭和四一年から右漁業権区(以下、本件漁場という。)において、青さのりの養殖に従事し、昭和四二年度(漁期は同四一年九月一日から翌四二年四月三〇日まで。以下年度と漁期の関係は同じ。)は一〇〇〇枚の、同四三年度は一五〇〇枚の、同四四年度以降は二〇〇〇枚ののり養殖網を設置した。
(三) 青さのりは養殖網一枚につき八キログラムの収穫があるのが全国平均とされている。
原告の収穫量は昭和四二年度は一網平均七・三キログラムであったが、別表1収穫量欄記載のとおり四三年度は六・〇キログラムとわずかに減少した。ところが、四四年度になると一・九キログラムと激減し、以後多少の増減はあるが全国平均を著しく下回る収穫しか得られず、五〇年度に至ってはついに収穫量はゼロとなった。なお、原告の種々の努力の結果昭和五三年度は合計二九七キログラム、同五四年度は合計三一七キログラムの収穫があったが、これは標準収穫量の約二パーセントの量である。
(四) 松島清浄苑からの放流水(以下、し尿排水という。)の流入により、汚泥が発生してのり養殖網に付着し、また漁場の水質にも酸素含有量の欠乏、アンモニア分等の増加などの変化を生じ、青さのりの養殖に適さない環境に陥ったものである。
2 被告らの責任
(一) 被告御荘町・同城辺町は、御荘町城辺町衛生事務組合(以下、事務組合または衛生組合という。)を結成し、同組合は、御荘町大字平城四三八〇番地に松島清浄苑との名称でし尿処理施設を所有・管理している。
(二) し尿排水の放流方式等
(1) 本件し尿処理場は、昭和三九年八月一日に建設に着手され、同四一年五月一応完成したが、処理排水の放流方法について御荘漁協等の承諾が得られなかったため、直ちに操業開始には至らなかった。
その後、事務組合と右漁協等が話し合った結果、し尿排水を地下一〇メートルの所から地中に吸収させる方式で行うことに合意が成立し、処理場から約五〇〇メートル離れた所に排水タンクを設置し、同所から地下に排水することとして、四一年八月末頃から処理場として操業が開始された。
(2) しかし、右排水タンクの場所が水田の跡地であったため、し尿排水の吸収能力に限界があり、遅くとも昭和四二年夏頃には、地中に吸収されなかったし尿排水は排水タンクから溢れ出し、付近の農業用水路を通って本件漁場に流れ込み、漁場を汚染し、以後徐々に原告ののり養殖に影響を及ぼし始めた。つまり、原告ののり養殖の収穫量は、地中吸収方式が行われていた昭和四二年度の漁期は、のり網一枚当り七・三キログラムであったのに四三年度は六・〇キログラムと減少したのである。
(3) 昭和四三年夏頃には、し尿処理場から排水タンクへ処理水を送るパイプがつまる事態が発生したが、右事務組合はこれを修理することなく、地下排水施設を放棄してし尿排水を直接本件漁場に排水する方式に変更した(前記漁協の承諾を得ずに秘かに行ったため、昭和四五年七月、御荘漁協から異議が出た。)ため、本件漁場は急激に汚染されることとなった。
このため、原告ののり養殖の収穫量は、昭和四四年度にはのり網一枚当り、わずか一・九キログラムと激減してしまった。
(4) 昭和四六年五月にはろ過池を設置し、現在と同じ方式であるし尿排水を右ろ過池でろ過した後、農業用水路を通して放流する方式に改められたが、このろ過池はろ過層が薄いため、固形物の除去には役立つが液状の有害物質の除去には何ら役立たないものであり、地中排水方式に比べ漁場に隣接した本件処理場の排水方式としては不適切であり、本件漁場の汚染の防止には役立たないものであった。
このため、し尿排水が直接排水された期間に著しく汚染されてしまった本件漁場は、自然の浄化作用が働いても回復することなく、逆に徐々に汚染が蓄積され、昭和五〇年度には、ついにのりの収穫に至らないまでに環境が破壊されてしまったものである。
(三) し尿排水の「のり養殖」への影響
(1) し尿排水がのり養殖に有害なのは、蛋白質等の有機質が分解途上で放流されるため酸素を消費し、漁場の酸素不足を招来することである。また分解生成物であるアンモニアの流入により海水の富栄養化を来たし、このためヒトエグサが軟弱化し、収穫前に流亡してしまうのである。アンモニア等窒素類は被告ら指摘のとおり、のりの成育には不可欠な栄養素であるが、過剰な場合は有害である。
昭和三八年に発表された実験結果によると、し尿排水を一〇〇倍に薄めても有害であるとされている。
(2) さらにのり養殖に対するし尿排水の影響として見逃せないのは、淡水は海水と混りにくいという性質である。本件処理場の様にし尿排水を淡水中に放出(処理排水そのものも淡水)している場合、し尿排水を含んだ淡水が漁場内の海水と混ることなく帯状に流れ、その流れに当ったのりに強く影響することである。
(3) なお、清掃法等で規定されているし尿排水の基準にはアンモニアの規制はないが、昭和四〇年三月、日本水産資源保護協会は水産用水基準(水棲生物の正常な棲息や繁殖に必要な水質の基準)を設け、アンモニアの規制も厳しく定めている。
(四) 被告御荘町、同城辺町の責任
本件漁場の環境破壊は松島清浄苑のし尿排水が流入したためであり、それは公の営造物である同処理場の設置(場所の選定も含め)若しくは管理(環境破壊に留意しない点等)の瑕疵又は事務組合の職員による右のような過失ある違法な行為によるものである。
両町は、事務組合を組織するものであり右処理場の費用を負担しているものであるから、国家賠償法三条一項により損害賠償債務を負っているものである。
(五) 被告愛媛県の責任
被告愛媛県は、本件し尿処理施設建設・使用に当っては清掃法(昭和二九年法律第七二号)一三条三項(昭和四六年九月二四日以降は廃棄物の処理及び清掃に関する法律(昭和四五年法律第一三七号)八条五項)に基き監督すべき義務があるのに、これを怠り、また、水産資源保護法(昭和二六年法律第三一三号)によって水産動植物に有害な水質の汚濁を防止する義務があるのに、これも怠り、排水を放置したため本件のり養殖漁場の環境を破壊したものであり、被告御荘町・同城辺町と共同して原告の受けた損害を賠償する責任を負担しているのである。
3 損害
(一) 原告の「のり養殖」の経緯
(1) 原告は、高知県宿毛市でのりの集荷・販売業等を行っていたものであるが、昭和三三年頃、御荘漁協に集荷される青さのりを買受ける取引を始めた。
翌三四年頃、漁協との間で、右取引の外に本件漁場内の天然糸のりの採取の許可を受け、採取作業を行っていた。
さらに昭和三八年頃からは右漁協から本件漁場内の天然糸のり、青さのり、おごふのり等一切の海草類の採取許可を受け、採取作業を行っていた。
(2) 昭和四〇年夏、原告は、漁協組合長訴外小野山喜広から、訴外大浦某が本件漁場での青さのりの養殖の申請を出したので原告も申請すれば右漁協の半分の操業を認めるがどうするか、との話を受けた。原告は、組合長直々の話でもあり、これを受けることとして申請を出したところ、大浦某が途中で申請を取下げてしまったため、本件漁場全部を原告一人で操業することとなった。
(3) 昭和四〇年九月から翌四一年春にかけて試験養殖を行い、のり養殖が採算に合うものと判断し、同年、磯じまん株式会社(大阪市所在)から一〇〇〇万円の融資を受け、被告御荘町の仲介で、同町平城七二四番地九四九平方メートル(当時の地目 田)を購入、のり加工作業場を建設し、以来本件漁場でのり養殖を行ってきた。
(4) 原告が本件し尿処理場の建設を知ったのは試験養殖を行っていた時期である。前記漁業協同組合の関係者から聞いたものであるが、この際の説明は、し尿処理場の排水は本件漁場に影響しない方法で処理されるから心配いらない、というものであった。
(5) 原告はどのような方法で排水が処理(排水)されるか(地下浸透方式等)は誰からも聞いたことがないため知らなかったが漁場に影響のない方法で処理されるとの説明を信じ、本件漁場でいつまでものり養殖ができると考え、資本を投下して本格養殖を開始したものである。
(二) 青のりの減収状況
(1) 正常な場合の青のりの養殖状況
(イ) 毎年九月一五日頃から種付け作業が始まる。
種付けは養殖漁場の一隅に養殖網(四尺×一〇間)を重ねて張り、天然の状態で青のりの胞子を付着させ発芽させる作業である。
約一か月で発芽した青のりの幼芽は網全体が青く見える程度に成長する。
(ロ) 一一月始め頃から本張り作業が始まる。
本張りとは種付けされた網一枚一枚を養殖する場所に張り直す作業である。
(ハ) 一二月末から一月初めにかけて、青のりは長さ一五~二〇センチメートル程の房状に成長するので、これを摘み取って収穫する。
摘み取りはその後一か月程毎にでき、一漁期で合計四回できる。
(二) 五月初め、のり網に付着している青のりをすべてはたき落し(はたきと呼ぶ作業)、最後の収穫とする。
(2) 本件漁場における青のりの養殖状況
(イ) 昭和四三年度、四四年度頃より、徐々にのり網に付着発芽する幼芽の勢いは落ちてきたが種付けはほぼ正常の状態と同様にできていた。
しかし、本張りしても青のりは軟弱でちぎれやすい状態にしか成育せず、わずかな流れや波浪で青のりの房がちぎれて流失してしまう(成長する傍から流失)網が出てきたために、収穫が減少することとなった。
(ロ) また、昭和四四年度頃から、本件漁場のうち蓮乗寺川河口寄り部分から汚泥がのり網に付着する現象が発生し、かように汚泥が付着したのり網では青のりの成長は止り(最悪の場合は枯死)、収穫がさらに減少することとなった。
(ハ) 昭和四八年度には汚泥ののり網への付着現象が急激に広範囲に発生、収穫は激減し、同五〇年にはついに収穫はなかった。
(ニ) なお現在では、種付け(僧都川河口部分で行っている)の段階での幼芽の発芽状態は昭和四二年頃に比べると悪化はしているが、まだ二〇〇〇枚ののり網の養殖のための種付には支障はきたしていない。
しかし、本張り後の成育は悪く、僧都川河口付近を除いてほとんど収穫につながらない。
僧都川河口部分でも青のりの房は一〇センチメートル程しか成長しない状況である。
(三) 損害の算定
(1) 原告は、本件し尿処理施設のし尿排水によるのり漁場の環境破壊にともない、青さのりの減収を余儀なくされたものであり、原告が現実に収穫したのりの量は別表1収穫量欄記載のとおりである。
しかるに、前述のとおり青さのりの養殖はのり網一枚につき平均八・〇キログラム収穫できるものであるが、この量より少ない昭和四二年度の本件漁場の収穫量七・三キログラムを標準と解すると、その差額がのり漁場の環境破壊にともなう減収量であり、その数値は別表1減収量欄記載のとおりである。
(2) 各年度の青さのりの取引価格は別表1単価欄のとおりであり、従って、原告の収入の減少額は同減収金額欄のとおりである。
(3) 青さのりの収穫作業は一日当り一人通常一五キログラム程できるのであるから、減収量に相当する作業人員数(のべ数)は別表2減収量相当の作業人員欄のとおりであり、各年度の作業員の日給は同日給欄のとおりである。
よって、原告の減収により受けた利益は、別表2減収量相当の人件費欄のとおりである。
従って、原告の逸失利益は別表2逸失利益欄記載のとおりである。
4 結語
よって、原告は、被告らに対し、右逸失利益相当額、及び、各年度毎に漁期の最終日である四月三〇日以降完済に至るまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。
二 請求の原因に対する認否
1 請求の原因1(一)は認め、同(二)のうち、原告が主張の漁業権漁場内において、青のりの養殖に従事していた事実は認めるが、その開始時期及び青のり養殖網の設置数は不知、同(三)は不知、同(四)は否認。
なお、原告が御荘漁協の正組合員となったのは、昭和五〇年一月からであり、それ以前は準組合員であった。
2 同2(一)は認め(但し、四三八〇番は、昭和五〇年三月一八日に地番変更により四〇七三番の一となった。)、同(二)(1)は概ね認め(但し、処理施設から約四〇〇メートル離れた水田に深さ二メートル、面積三三〇平方メートルの井戸を掘り、同所において右排水を地下に浸透させることになり、この放流方法は昭和四一年一二月の本格的操業開始時から実施された。)、同(2)のうち、排水タンクの場所が水田の跡地であったことは認め、処理水が遅くとも昭和四二年夏頃には、地中に吸収されず、排水タンクから溢れ出たとの事実を否認し、その余の事実は不知、同(3)の前段は後記の点を除き否認し、同(3)の後段(昭和四四年度の収穫)は不知、同(4)のうち、昭和四五年八月にろ過池を設置し、処理水を右ろ過池でろ過した後、農業用水路を通じて放流する方法に改め、現在に至っていることは認め、その余の事実は否認する。
地下浸透方式は、操業以来、昭和四四年秋頃まで順調に実施せられていたが、それ以後地下浸透がスムーズに行われなくなった。そこで、昭和四四年一一月一四日、従来の排水用の配管から分岐し、僧都川堤防に沿い、およそ七〇メートル下ったところにある沼まで配管を行い、し尿排水の一部をこの沼に流すこととした。
この沼は、海や周囲の土地とは堤防で隔てられ、周囲に水が流れ出すような水路も全く有しない、閉鎖性のものであった。この沼に流れ込んだし尿排水は、一部は蒸発し、一部は地下に浸透した。し尿排水が直接海に流れ込んで、原告ののり養殖に影響を与えたことは、全くなかった。
し尿排水の放流方法を変更することについて、御荘漁協と協議をしていなかったこと、御荘漁協から昭和四五年七月に異議が出たことは認める。右の放流方法が当初の協定に違反することは事実であるから、事務組合は、同月四日から松島清浄苑の操業を中止し、同漁協と協議をした結果、現在のろ過池方式で協議が整い、直ちにろ過池を完成し、同年八月二六日から操業を再開したものである。
同2(三)(1)のうち、アンモニア等の窒素類が青のりの成育には必要不可欠な栄養素であるが、過剰になると有害であることは認め、実験結果は不知、その余は争い、同(2)は不知、同(3)は認める。
同2(四)のうち、被告御荘町及び同城辺町が訴外事務組合を組織し、松島清浄苑の費用を負担しているとの事実を認め、その余の事実を否認する。
同2の(五)は否認する。
3 同3(一)(1)ないし(5)はいずれも不知、同(二)(1)(イ)ないし(ニ)は概ね認め、同(2)(イ)ないし(ニ)のうち、(2)(ニ)の現在種付を僧都川河口部分で行っているとの事実を認め、その余の各事実はいずれも不知。
同(三)の(1)ないし(3)の各事実はいずれも不知。
4 同4は争う。
三 被告らの主張 <略>
四 被告らの主張に対する原告の認否及び反論 <略>
五 原告の主張 <略>
六 原告の主張に対する認否及び反論 <略>
第三証拠<略>
理由
一 原告の青さのり養殖とこれに対する被害について
1 請求原因1(一)の事実は、当事者間に争いがない。
2 同1(二)の事実のうち、原告が御荘漁協の組合員であることは、当事者間に争いがない。なお、<証拠略>によれば、御荘漁協には、正組合員と准組合員の別があること、原告は、昭和四一年一〇月一三日に准組合員になったこと、昭和五〇年一月三〇日に正組合員になったことが認められる。原告が、本件漁場内において青さのりの養殖に従事していた事実は、当事者間に争いがない。そして、<証拠略>によれば、原告が青さのりの養殖を始めたのは昭和四一年度(昭和四〇年九月一日から翌四一年四月三〇日までの漁期を指す。年度とその期間との関係は以下同じ。)であること、これは収穫した青さのりを製品化しない試験的な養殖で、養殖網を約五〇〇枚設置したこと、翌昭和四二年度には養殖網を約一〇〇〇枚(本張りの位置は別紙図面三のとおり)、昭和四三年度には約一五〇〇枚(本張りの位置は別紙図面四のとおり)、昭和四四年度から昭和五〇年度には約二〇〇〇枚(本張りの位置は別紙図面五及び六のとおり)、それぞれ設置したこと、昭和五三年度及び五四年度にも若干の養殖網を設置したことが認められる。
3 請求原因1(三)のうち、平均的な青さのりの収穫量につき、<証拠略>によれば、三重県においては、青さのりは養殖網一枚につき平均約八キログラムの収穫が可能とされ、これがおおむね全国平均とされていると認められる。
また、<証拠略>によれば、青さのりの収穫量は、昭和四二年度は七三三七キログラム、昭和四三年度から五四年度までは別表1の収穫量欄のとおりであったと認められる。
二 松島清浄苑について
請求原因2(一)の事実は当事者間に争いがない。請求原因2(二)(1)のうち、松島清浄苑の着工、竣工、操業開始の各日時及び地下浸透方式の細目を除いては当事者間に争いがない。<証拠略>によれば、松島清浄苑は、昭和四〇年二月二二日に着工され、昭和四一年二月二八日竣工、そのころから試験操業を始め、昭和四一年一二月二三日ころ本格操業を開始したものと認められる。<証拠略>によれば、松島清浄苑から延長約四〇〇メートルのパイプを敷設し、その先に面積約五〇〇平方メートルの井戸を掘り、そこから排水を地下に浸透させるようにしたこと、さらに面積約二〇平方メートルの第二放流池も設けられたこと、地下浸透方式は前記本格操業開始時から実施されたことが認められる。
三 松島清浄苑のし尿排水と青さのりの減収との因果関係(一(請求の原因)1(四)、同2(二)(2)ないし(4)、同2(三)、同3(二)、二(請求の原因に対する認否)、三(被告らの主張)1(一)、四(被告らの主張に対する原告の認否及び反論)1、五(原告の主張)、六(原告の主張に対する認否及び反論))について検討する。
証拠等によれば、次の事実が認められる(認定に供した証拠等は、原則として、認定した事実の後に掲げる。)。
1(一) 原告が養殖した青さのりは概ね二種類あり、学名は、ヒトエグサ及びヒロハノヒトエグサである。これは、海苔佃煮の原料として用いられる。板海苔等に用いられるクロノリ(アマノリ属)とは異なる。
(<証拠略>)
(二) 青さのりの養殖一般につき、請求原因3(二)(1)(イ)ないし(ニ)の事実は、概ね争いがない。
2 本件漁場の青さのりに生じた現象(請求原因3(二)(2))
(一) 本件漁場における青さのりの種付けは、昭和五四年度まで、養殖網約二〇〇〇枚全部について可能であった。昭和五五年度以降も、高知県下田漁業協同組合(以下「下田漁協」という。)の関係者が相当量の種付けを行い(種付けの事実は当事者間に争いがない。)、種付けができている。
(<証拠略>)
(二) 収穫量が落ちた昭和四四年度ころ、本張り後の青さのりは、速く成長するが柔らかく切れやすくなり、収穫できる大きさになる前に網からちぎれてしまった。湾口側(沖側)より湾奥側(陸側)の方が、ちぎれてなくなるものが多かった。
昭和五〇年四月ころ、珪藻類や雑菌類が養殖網に付着し、青さのりの葉体が萎縮して成長しなかったものがみられた。
昭和五三年四月二二日、蓮乗寺川河口付近の養殖網では成長した青さのりがほとんどなく、僧都川河口付近の網の青さのりもかなり下に落ちていた。昭和五六年春も、ほぼ同様の状況であり、のりの芽は養殖網にかなり付いているが、養殖網にらん藻も付着しており、青さのり本体も、その他の付着物がかなりあって、細胞が変形していた。昭和五八年度、同五九年度の養殖試験でも、沖寄りの一部を除き、僧都川寄りでも蓮乗寺川寄りでもほとんど収穫はなかった。但し、収穫があった箇所も、年度により量にかなりの変動があった。
原告は、昭和五五年秋(昭和五六年度)、同五八年度、同五九年度に蓮乗寺水門の前に試験網を張ったが、青さのりは最初速く成長するものの、どろどろになって根こそぎ網から離れ、収穫できる大きさになるものはなかった。
昭和五六年度、本件漁場で種付けした網を下田漁場(高知県中村市)及び岩松漁場(愛媛県津島町)に、下田漁場及び岩松漁場で種付けしたものを本件漁場に、それぞれ本張りする実験が行われた。御荘産の種網を他の漁場に移すと、他の漁場で種付けして本張りしたものと同じように青さのりが成長し、他の漁場で種付けした網を本件漁場で本張りすると、本件漁場で種付けしたものと同じく、青さのりが充分に育たなかった。昭和五八年度及び同五九年度にも同様に本件漁場の種網を下田漁場で本張りして、収穫を得た。
(<証拠略>)
3 し尿処理場の水の一般的な有害性
(一) し尿及び処理排水の成分
し尿には、アンモニア態窒素やリン酸などの栄養塩が含まれている。し尿に含まれる窒素や燐は、酸化処理方式では除去できない。また、し尿処理排水には、有機物や浮遊物質も含まれている。
処理水の水質につき、昭和五三年八月二二日の酸態窒素及びたん白性窒素は、午前七時ころは合計約一〇PPMであったが、午前一一時及び午後四時ころにそれぞれ合計二〇PPMを若干越えていた。うち、アンモニア態窒素は、午前七時が七・二八PPM、午前一一時に一三・五八PPM、午後四時に一三・八二PPMであった。昭和五〇年一月から同五三年七月までの間毎月一回計測した結果は、被告ら主張三2(一)(ホ)所掲の放流水試験結果表記載のとおりであって、CODの最高値が六九・〇PPM、最低値が七・〇PPMであり、SSの最高値が五三・七PPM、最低値が二・〇PPMであった。
昭和五〇年五月二三日には、ろ過池に入る前の処理水のSSが一六・四PPM、ろ過池経由後は六六・八PPMであった。
(<証拠略>)
(二) し尿処理排水の有害性
一般に、栄養塩は、植物の成育にとって必要であるが、増えすぎると有害である(当事者間に争いがない。)。
これらが過剰になると、青さのり自体は育ち、色が濃くなるが、柔らかく、ちぎれやすくなる。らん藻類がついて青さのりの成育を妨げ、結局青さのりは充分に育たなくなる。また、珪藻類がついて細菌も繁殖し青さのりが腐るという、ドタ腐れを生じることもある。
有機物が多いところ(CODは有機物量の尺度である。)では、青さのりがよく育たない。溶存酸素が不足している場所でも、有機物や病原菌の多いことから、青さのりの成育に適しない。
水中の浮遊物質が多いと、青さのりの葉体に付着し、青さのりの成育を妨げる。但し、単なる泥水の場合には、青さのりの成長にさほど影響しないこともある。
(<証拠略>)
4 松島清浄苑によるし尿処理水の放流方式及び経路(請求の原因2(二)(2)ないし(4)項)
(一) 試運転時のし尿処理水の放流方式
本格操業開始前の試運転時、処理水は、僧都川河口に放流していた。
なお、松島清浄苑のし尿処理方式は後記四2認定のとおりであり、また本格操業後のし尿排水の処理方式は前記二に認定したとおりである。
(<証拠略>)
(二) 協定違反放流について
(1) 違反放流の放流方式
遅くとも後記昭和四四年一一月中旬ころから、松島清浄苑の処理水が、御荘漁協との協定に反して、設置されたパイプを通じ、僧都川河口南側に設けられた水門を経由し、直接海に流し込まれていた。
(<証拠略>)
この点につき、被告らは、排水を直接海に流したものではなく、海や海への水門を有する沼とはつながっていない閉鎖性の沼に放流したのみであると主張する。そして、右主張に沿う証拠も存在する(<証拠略>)。
しかしながら、役場の厚生課長で、事務組合の事務局長であった前記濱本証人は、タンクにとった処理水を地下を通して流した、海に一切出さないはずのものを海に出した旨、明確に証言するのであり、タンクの位置や排水経路の指摘はないけれども、ある程度の具体性をもった供述であり、当時の地位をも考えると、相当の信用性があるというべきである。また、昭和四五年七月四日事務組合側が御荘漁協側に謝罪したこと、その後松島清浄苑の操業が一時停止されたことは、当事者間に争いがないが、原告本人尋問の結果は、この事実とも符合し、その過程が不自然であるともいえない。なお、佐々木証人は、違反放流した沼の面積は七〇〇平方メートルであると証言する(<証拠略>)ところ、同証人の尋問調書末尾に添付された図面(縮尺は、前記証言により、五〇〇分の一と認められる。)に表示された沼は、図面の範囲からは七〇〇平方メートルもないうえ、この沼地と水門の口につながる沼とはさほど距離がないことなどから、閉鎖性の沼であるとの佐々木証言には不自然な点がある。以上の点から、処理水を海に流し込んだのではないとする被告らの主張は、採用することができない。
(2) 違反放流の開始時期
昭和四四年一一月一四日に違反放流のための配管工事が行われ、このころ違反放流が始められた。
(<証拠略>)
これに対し、原告は、違反放流の開始時期はそれより前であると主張し、<証拠略>にもこれに沿う部分が存在する。しかしながら、佐々木証人は、松島清浄苑の当時の日誌中、配管工事について記したものは乙第三九号証のみと証言し、乙第三九号証の内容につき証言する部分も、パイプの直径や来歴など、一応の説明はされており、不自然とまではいえない。反面、この点については、原告主張に沿う証拠はすべて伝聞である。したがって、原告主張に沿う証拠は、前記認定に供した証拠と対比し、採用しない。
(3) 違反放流前のし尿処理水の経路
協定違反放流前に、処理水が溢れて付近の農業用水路に流れ出し、海に流れ込んでいた。
(<証拠略>)
前記佐々木証人は、これを否定する(<証拠略>)。しかしながら、処理水の放流方式については、松島清浄苑の本格操業前に御荘漁協側と事務組合側とで厳しい主張の対立があったことは後記認定のとおりであるから、違反放流をして発見されれば大問題になることは、容易に予測できたはずである。それをあえて行うのであるから、地下浸透の実施につき、深刻な事情があった可能性が高いというべきである。また、請求原因2(二)(2)の事実のうち、排水タンクの場所が水田の跡地であったことは当事者間に争いがないが、これも、地下浸透がうまくいかなかったことを裏付けこそすれ、これと矛盾するものではない。このようにみてくると、前記佐々木証言は採用しがたいというべきである。
(三) 違反放流発覚後の放流方式
請求原因2(二)(4)の事実のうち、少なくとも昭和四六年五月以降現在に至るまで、処理水がろ過池を経由し、農業用水路を通じて放流されている事実は、当事者間に争いがない。このような方式が採用された時期は、<証拠略>によると、昭和四五年八月二六日と認められる。なお、具体的な放流経路は、<証拠略>によると、ろ過池から蓮乗寺川と平行して走っている農業用水路を西進し、海岸沿いに細長くのびる沼(潮溜りと呼ばれている。)に至り、そこから蓮乗寺川河口付近の水門(以下「蓮乗寺水門」という。)を経由して海に至るものと認められる。
5 本件漁場付近における処理水及び河川水と海水の混合並びに潮流(一(請求の原因)2(三)(2)、二(請求の原因に対する認否))
蓮乗寺水門は、潮が引くと潮溜りの水圧で開き、潮が満ちてくるとその圧力で閉じる。本件漁場付近は、干潮時、かなりの部分が干潟となるが、潮がある程度引くと、蓮乗寺水門から流れる水と蓮乗寺川の水とは干潟で仕切られ、排水口前では混ざらず、処理水は蓮乗寺川河口北側のみお筋を、河川水は河口南側のみお筋を経由する。そして、本件漁場の中央部付近に向けて勢いよく流入してくる僧都川の支流と合流のうえ、大島の南側海域を貫流して湾口部に向う。
もっとも、右潮溜りの水位はし尿排水量のみでなく、降雨量や農業用水の使用状況などによって異なるので、蓮乗寺水門からのし尿排水は増水期には退潮時早期からの、また渇水期には退潮がかなり進行して蓮乗寺川の水位が著しく降下した時初めて本件漁場に流入するようになる。したがって、し尿排水への流入開始時期、その継続時間、海水と淡水との混合の有無、時期、程度等は季節によって変動があるし、また農業用水の使用状況などによっても影響を受けるものと考えられる。
そして、干潮時に湾口部に向かった本件漁場付近の水は、潮汐による海水の往復運動によって満潮時に湾外へ出ないままその全部または一部が湾奥に戻ってくることになる。河川水の動きにつき、一般に、海水と淡水とでは、淡水の比重が小さいが、僧都川の水は、概ね湾内の表層を大島北部に向けて拡散しないで流れており、満潮時にも、表層では、河口から大島方面に向かって流れることがある。満潮時の僧都川河口付近では、表面の塩分濃度は低いが、ゼロではない。蓮乗寺川は、流量が僧都川よりも少ない。蓮乗寺川河口南側付近は、満潮時、表面でも比較的塩分濃度が高いが、底の水に比べると低く、淡水と海水が僧都川河口よりもよく混ざってはいるが、完全ではないと推認される。
そして、本件漁場には前記のとおり比較的大きな二河川の水が流入しているうえ、該漁場付近は、地盤が平坦でないため、潮汐による海水の往復運動も加わって水の動きが複雑である。
なお、原告は、地盤からの高さ約三〇センチメートル程度の位置に網を本張りしていた。
(<証拠略>)
以上の事実によると、蓮乗寺水門を経由する以前の処理水の流路については認めるに足りる証拠がないが、蓮乗寺水門を経由する処理水は、僧都川の河川水が拡散しないで海の表層を流れていることから推察して、概ね干潮時に、それほど拡散しないで、沖に向かって流れていくものと推認すべきである。但し、青さのりは、原告が養殖網を張ったところが干潮時に干潟となること、約一〇ないし二〇センチメートルに成長すると収穫されてしまうこと(1(二)項)から、渇水期の干潮時には処理水にさほど接触しないと推認すべきである。しかし、満潮時あるいは増水期の干潮時には網が水没し、海水と充分に混ざらない淡水(処理水も含む)がのりに接触するものと推認でき、僧都川寄りは、僧都川の河川水の勢いが強いが、水の流れが複雑であることから、蓮乗寺川寄りの水が僧都川寄りにあまり流れないとは断定できないというべきである。
6 本件漁場付近の水質及び底質について(一(請求の原因)1(四)、二(請求の原因に対する認否)1、三(被告らの主張)、四(被告らの主張に対する原告の認否及び反論)
(一) アンモニア態窒素、亜硝酸態窒素、硝酸態窒素、DO(溶存酸素)、COD(化学的酸素要求量)、SS(浮遊物質)、につき、一般に、のりの養殖に影響を及ぼす、あるいは望ましいとされる数値は、次のとおりである。但し、ヒトエグサの関係では充分に研究が出揃わず、データの蓄積も少ないから、どの程度で影響が出るかにつき、確実な数値を認めることはできない。なお、アンモニア態窒素、亜硝酸態窒素、硝酸態窒素については、これらをそれぞれ分別して測定することが難しいので、三種類を合計し酸態窒素として計測するのが正確である。
酸態窒素 二〇〇マイクログラム・パー・リッター程度必要といわれる。
リン 一二から四六マイクログラム・パー・リッターくらいが望ましい。
DO 五PPM以上必要である。
COD 三PPMを越えると障害がおこる。
SS 三PPM以下が望ましく、一〇PPMを越えると障害がおこる。
(<証拠略>)
(二) 本件漁場及びその付近(蓮乗寺水門前を含む。)の水質および底質
本件漁場付近の水質につき、昭和四〇年一一月一三日から同月一五日及び同五三年八月四日、別表二記載の地点で測定された水質は、同表記載のとおりであり、昭和五〇年二月二四日、同年三月一八日、昭和五一年六月一日及び同年一〇月二三日、図1及び図2の地点につき測定された水質は、別表一記載のとおりである。
そのほか、昭和五〇年四月一六日、同年五月二三日、昭和五五年秋から同五六年春にも水質が測定された。
原告が昭和五〇年度まで養殖網を張った場所について、これらの値は、酸態窒素、リン酸態リン、COD、DO、SSとも、一部の地域を除いて、概ねのりの養殖にとって有害とされる数値には達していない。CODについては、昭和四〇年一一月の数値ともそれほど変わらない。他の漁場に比べても、やや悪いが、さほどではない。しかし、排水口前は、それぞれの値が本件漁場に比べかなり高く、その近くでも、かなり値は減るが、それでも高い。
(<証拠略>)
(三) 底質について
昭和五六年五月に訴外今井嘉彦によって、また同五七年から五八年には訴外丸山俊朗によって底質が測定されたがその内容は後記のとおりであり、なお、昭和五八年三月に試料を採取したのは、訴外三浦昭雄の指示を受けた原告である。
底質についても、原告が昭和五〇年度まで網を張った箇所では、有機物の堆積を示す強熱減量(I・L)が一般に汚染の目安とされる一〇パーセントを越えないなど、重篤な汚染状態とはいえない。しかし、蓮乗寺川河口南側付近で糞尿臭を発する箇所があった。また、干潮時に蓮乗寺水門からの水が経由するみお筋に、黒い沈殿物があり、硫化物が発生した箇所があったが、これは下田漁場や岩松漁場ではみられないものである。排水口前は、各項目の値が周囲より高く、昭和五八年三月には強熱減量が一〇パーセントを若干越え、蓮乗寺川の上流寄りに行くと値が低くなってくる。また、排水口前は、黒い泥が溜り、腐敗臭があった。
以上の点について若干補足しておくと、底質は水質のある程度長期的経過を示しているとみられるので、本件漁場の蓮乗寺水門(排水口)、濡筋及び杭配置などを考慮して二三点を設定して、昭和五八年三月採泥し、これを同年五月に分析した強熱減量、硫化物及び全有機炭素は、別紙同項目分布図記載のとおりである。これによれば、強熱減量、全有機態炭素及び硫化物の分布はいずれも潮溜りと排水口近傍と干潮時に現われる排水流路(濡筋)に集中していることが明らかである。
このような集中化は排水口近傍が停滞水域である外、淡水中のコロイドが海水を混合して凝集沈殿するためである。また、排水口から上流底泥の悪化は潮汐による海水の往復運動によるものと考えられる。排水口近傍の底質の色が著しい黒色であったことは前示のとおりである。一方、有機物によって嫌気性分解が進み硫化物が蓄積されていることが注目される。ヒトエグサによって、嫌気的条件が望ましくないことの外、一度沈殿したコロイド性の物質も分解されて窒素やリンの溶出を容易にし海域全体を富栄養化させた可能性が高いからである。前記図面の記載では白丸の地点がとくに他の地点に比べて汚染の高いことを示している。これによれば、強熱減量、硫化物及び全有機炭素のいずれもが排水口を中心に悪化していることを示している。
(<証拠略>)
7 昭和二〇年代半ばから同三〇年代半ばまでの養殖の実績と本件漁場の自然条件による減収の可能性
(一) 昭和二六年秋から昭和三六年まで、御荘湾の奥では、のりの養殖が行われていた。最初の二年は、クロノリが養殖されたが、実績が芳しくなかったので、その後は青さのりが養殖された。原告は、この当時海産物商を営んでいたが、昭和三〇年ころから、養殖された青さのりを御荘漁協より買い入れ、商社に卸していた。青さのりの養殖が行われなくなった主たる原因は、真珠養殖のほうが収入がよく、養殖を行う者がそちらに転業したからである。
(<証拠略>)
(二) 養殖青さのりの収穫量は、養殖が始まってから昭和三〇年代半ばまでの数年間、相当量の収穫があり、一網あたりの収穫量が激減することはなかった。のり養殖が真珠養殖にすべて転換した後、原告は、相当量の天然の青さのりやイトノリなどを採取した。
(<証拠略>)
訴外小野山直喜は、乙第三五号証(昭和六一年五月二六日付け聴取報告書)において、昭和二六年から海苔の養殖を始めたところ、収穫がよかったのは養殖が始まってから三年くらいで、以後収穫が減ったので昭和三一年から施肥を行ったと述べ、乙第五三号証の聴取報告書中では、小野山直喜を含む三名が、のりの収穫減を廃業の理由としてあげている。しかしながら、乙第五三号証は、三七名の聴取報告書の内容を集めたものであり、その中には、青さのりは収量があったとするもの、生産過剰だとするものさえある。小野山直喜自身も、乙第三〇号証(昭和六一年五月三日付け聴取報告書)においては、青さのりの養殖が終了した原因の第一に真珠養殖のほうが有利であること、第二に昭和三五年のチリ津波による養殖施設の荒廃をあげており、収穫減には触れていない。そして、青さのりの養殖が昭和三六年まで続いた事実、青さのりの養殖が行われなくなった昭和三〇年代後半に原告が天然ののりを大量に採取したことについて、反対の証拠がないことをも考慮すると、収穫減を強調する前記各証拠は採用できない。
なお、<証拠略>によれば、甲第二三号証記載の収穫量は、厳密な記録に基づくものではないと認められる。しかしながら、養殖網一枚あたりの板のりの収穫枚数を乙第五三号証と対比しても矛盾はなく、ほかに甲第二三号証の収穫量がまったく虚構であることを疑うに足りる証拠はないから、乙第二四号証は、前記認定を左右するものとはいえない。
(三) 連作による漁場の老化の主張
<証拠略>によれば、一般に、毎年のりを養殖していると、収穫が自然に減少するものと認められる。しかしながら、本件の収穫の減少は、さきに認めたところにより、試験養殖を含めて三回目の漁期となる昭和四三年度が、網一枚あたり約六・〇キログラムであり、前年(約七・三キログラム)の約二〇パーセント減、昭和四四年度に昭和四三年度の約三分の一と激減し、以後最高でも昭和四七年度の約二・四キログラムと低迷を続けている。<証拠略>及び右(二)で認定した昭和三〇年代半ばまでの養殖実績に照らすと、収穫が養殖開始後四年目にして激減というような老化があるとは考えられず、漁場の自然老化では、本件の収穫減を充分説明できないというべきである。
(四) 本件漁場付近の風波等の自然条件が、もともと青さのりの養殖に適しないかどうか。
<証拠略>によれば、昭和五五年一二月、御荘湾内で最大風速約二五メートルの風があり、<証拠略>によれば、その他の年にも季節風による風波の強かったことが認められる。
また、浮泥など浮遊物質の多い箇所はのり養殖にあまり適しないとされるところ、本件漁場は、海底が平坦でないため海水の流動が複雑であり(5項)、地盤が粘土質の箇所があり、そこでは泥が巻き上げられる可能性が多いと認められる(<証拠略>)。
しかし、本件漁場における日照、海水の流動等、その他の自然条件が青さのりの養殖に適しないとの証拠はなく、右に認めた事実も、昭和三〇年代半ば以前や昭和四〇年代初頭の養殖の実績及び<証拠略>と対比すれば、御荘湾の自然条件がのりの養殖に不適であることを推認させるものとはいえない。従って、本件漁場の自然条件がもともと青さのりの養殖に適しないとする被告の主張は、採用することができない。
8 養殖技術について(三(被告らの主張)一(6)、四(被告らの主張に対する原告の認否及び反論)、五(原告の主張)7(1)、(2)及び(4))
(一) 種網の洗浄について
原告は、種付けのときに網を洗浄せず、収穫が終了して網を撤去した後に洗浄するのみであるが、岩松漁場などでは種付け中にも洗浄している。しかし、原告が本件漁場で種付け時に洗わなかった種網を岩松で本張りしたところ、充分な収穫が得られ、御荘で種付けをしている下田漁場の漁民は、種網を放置しているが、それを下田で本張りして充分な収穫を得ている。西条市の禎瑞漁場でも、種付け中の網を洗っていない。洗浄を要しないとの見解もある。
(<証拠略>)
そうすると、種網を洗わないでもほかの漁場で収穫が得られたというのであるから、種網の段階では特に問題がないことが推認され、網を洗わないことが減収に寄与したとはいえない。
(二) 網の高さ
網の高さについて、地盤から六〇センチメートル、あるいはそれ以上の高さを推奨する見解、また、その前後の高さで状況により網の高さを変えるべきとする見解があり、網の高さを重視する説もある。原告が網を張った高さは、地盤が平坦でないため一様にはならないが、他の漁場に比べて低めである。
しかし、原告は、収穫が減少してから、網の高さを上げたり下げたりしたが、収穫はもとに戻らなかった。昭和五五年秋から、三浦昭雄の指導により養殖実験を行ったときにも、網の高さをさまざまに変えてみたが、結果は変わらなかった。
(<証拠略>)
そうすると、原告が網を張る高さが減収に大きく寄与しているとは認められない。
(三) 密殖
一般に、網の面積が漁場面積の三分の一から四分の一くらいを越えると、、収穫が減るとされる。
これを本件についてみると、本件漁場で用いられた網の大きさは、一枚が縦約一・二メートル、長さ約一八メートル、面積約二一・六平方メートルであり、約二〇〇〇枚で約四万三二〇〇平方メートルとなる。他方、本件漁業権が設定された漁場の面積は、約六〇万二六一二平方メートルである。
また、伊雑浦では、昭和四〇年代初頭からかなり密殖状態となったが、それからも相当の収穫をあげていた。
(<証拠略>)
そうすると、本件漁場は密殖状態とはいえず、また密殖気味でも収穫のあがるところもあるから、密殖により収穫が減ったものとは認められない。
(四) 杭の放置について
多くの漁場では、養殖の季節が終わると、杭を抜いて洗浄し、次の養殖まで保管している。これは、杭にフジツボなどが発生し、そこに浮泥などが多く付き、ひいては青のりに付くのを防ぐためである。原告は杭を漁場に差したままにしている。しかし、原告は、漁協から、収穫期後杭を抜くよう指導されたことはない。
(<証拠略>)
右のような他の漁場の例や学者の見解からすると、原告が杭を放置していることが減収に若干の寄与をしていることは推認できる。しかし、相当の養殖実績をもつ御荘漁協が、特に指導もしなかったというのであるから、杭を抜くことが収穫維持の極めて重要な要素であるとまでは認められず、原告が杭を放置したことが減収に大きく寄与したとまでは認められない。
(五) 養殖網の管理
約二〇〇〇枚の養殖網の管理が不可能との被告の主張については、その前提となる種網の洗浄や網の上げ下げ等の必要性が認められないうえ、原告は相当数の従業員を使用して養殖に当ってきたことが前掲各証拠上認められるから、右主張は採用できない。
以上検討したところによれば、養殖技術の巧拙を強調する被告の主張は、採用することができない。
9 他の汚染源
(一) 工事による浮泥
<証拠略>によれば、昭和二八年度から五一年度までの間、僧都川の河川改修工事が行われたことが認められる。そして、<証拠略>によれば、その工事終了ころに河口付近の水が澄んだことが認められ、これによると、右工事によって本件漁場の浮遊物の全部を発生させたと推認することはできないが、河川改修工事が原因となって、相当程度の浮遊物質が生じたものと認められる。
しかしながら、河川工事が始まった当初、先に認めたとおり、青さのりの養殖が行われ相当の実績を上げていたこと、前記2の(二)で認めたとおり、その後の養殖実験でも収穫が認められないことを考慮すると、河川工事による浮泥がのりの被害に大きく関与したとは推認しがたい。
(二) でんぷん工場
<証拠略>によれば、蓮乗寺川河口近くに、芋からでんぷんを抽出するための工場があり、この場所で昭和三〇年ころから同四二年ころまで操業していたこと、同工場の排水は相当の浮遊物質、有機物等を含んでいたことが認められる。
しかしながら、さきに認めたとおり、でんぷん工場がすでに稼働していた昭和三五年ころまで、青さのり養殖が相当程度の実績をあげていたのであり、またこのでんぷん製造はある季節に限り行われたことも認められる(<証拠略>)から、このでんぷん工場の排水のみでは、養殖のりの被害を説明できないというべきである。
(三) 株式会社御荘生コンの作業場
<証拠略>によれば、蓮乗寺川河口付近に株式会社御荘生コンの工場があり、生コンクリートのトラックミキサーを洗浄する施設を有すること、洗浄した排水及びその他若干の排水を蓮乗寺川に放流すること、昭和四九年四月から本格操業を始めたことが認められる。
しかしながら、<証拠略>によれば、通常は排水の上澄みを再度利用して洗浄を行うため、排水を放流するのは降雨時等に限られること、排水のPH値は高いが中和剤で中和されることが認められ、さらに、その他の排水を含め、窒素等を含んでいることを認めるに足りる証拠はない。以上の事実及び操業開始時期が原告の収穫が得られなくなったあとのことであることに照らすと、この排水がのり養殖の被害に大きく関与したとは考え難い。
(四) 水産加工場等
<証拠略>によれば、御荘町平城四四六七番ほか二筆を利用した養鰻場が昭和四七年ころから、同所四一六五番ほか二筆を利用した水産加工場が昭和五〇年ころから、それぞれ開設されたと認められる。また、前記証拠により、水産加工場の排水量が一日あたり五〇立方メートルであることが認められる。しかしながら、これらの排水の成分については不明であり、操業開始時期等をも考慮すると、のり養殖の被害との因果関係は不明と考えられる。
(五) 生活排水等
昭和三〇年代半ばまでと昭和四〇年頃以後を比較した場合、生活水準が向上したことは当裁判所に顕著であり、生活排水がある程度増加し、昭和三〇年代と四〇年以降で水質等の環境が変わってくることは推認できる。しかしながら、僧都川及び蓮乗寺川流域の人口が急増し、生活排水の水質が極端に変化したことまで認めるに足りる証拠はない。そのほかにも、青さのりの養殖に重大な影響を与える水源が発生したことを認めるに足りる証拠はない。
10 判断
以上検討したところによると、本件漁場の青さのりに生じた現象(2項)は、一般にし尿又はその処理水に含まれている酸態窒素や浮遊物質などの過剰が青さのりに与える影響と符合すること(3項)、網一枚あたりの収穫量が激減した昭和四四年に比較的近い時期に、御荘漁協との協定に違反し、処理水が農業用水路を経由あるいはパイプを通じ直接海に流れ込んでいたこと(4項)、処理水が直接青さのりにあたったことを否定できず、また蓮乗寺川から流入した処理水が僧都川寄りに流れないとも断定できないこと(5項)、蓮乗寺水門前の水質及び底質が付近に比べ悪化していること(6項)、本件漁場はもともと青さのりの養殖の適地であったところ(7項)、他の地域で種付けした青さのりが本件漁場で育たず、本件漁場で種付けしたそれが他の漁場では成長したこと(2項)、漁場の自然老化によっても収穫の減少を説明できないこと(7項)を総合すると、本件被害は、青さのり養殖の適地であった本件漁場において、松島清浄苑の処理水が流れ込んだことが少なくとも一因となって、原告が養殖網を設置した区域の全域にわたり、養殖に適しない環境に変わったため生じたものと説明することが可能である。もっとも、原告が養殖網を張った箇所の水質及び底質を検査すると、のりにとって有害とされる値が検出されないこと、CODは、昭和四〇年一一月と同五〇年以降とであまり変わらないこと、他の漁場の水質と比べてもさほど悪くはないことなど、環境が悪化したとの認定を妨げるかのような事実も存在する(6項)。しかしながら、<証拠略>及び複雑な水の流動があること(5項)等を考慮すると、ある時点でのCODなどの水質測定値が必ずその当時の水質を反映するとは断定できない。また、環境そのものが悪化していないのであれば、減収の原因として考えられるのは原告の養殖技術であるが、8項でみたとおり、収穫期後に杭を抜かないことを除いては特に収穫減に寄与しているとは認められず、杭を抜かないことが減収に大きく寄与しているとも認められない。そうすると、本件の収穫減は、やはり本件漁場の環境の悪化にその原因を求めざるをえない。そして、他に、昭和四四年以後継続した被害、特に昭和四五年ころの収穫減を説明できる汚染源は見当たらないのである(9項)。
このようにみてくると、松島清浄苑の処理水以外の要因だけでは本件被害は生じなかったと推認することができ、松島清浄苑の排水と養殖青さのりの被害との間に、相当因果関係を認めることができるというべきである(<証拠略>)。なお、畑幸彦証人の証言中には、この因果関係につき疑問を呈するかのような部分がある(<証拠略>)が、同証人も、単純にし尿処理場に近いところが悪いからし尿処理の影響があるとは断定できないと述べるにとどまり、そのほかの間接事実を考えた場合どうかということについては触れておらず、し尿処理場の影響を明確に否定するわけではない(<証拠略>)から、前記証言は、右の因果関係の認定を左右するものではない。
四 松島清浄苑の設置及び管理に瑕疵があったかどうかについて、判断する。
国家賠償法二条にいう設置管理の瑕疵は、当該営造物の構造、用法、場所的環境、さらには結果に対する予見可能性及び回避可能性の有無及びその程度等、諸般の事情を総合考慮して、具体的、個別的に判断すべきものと解される。なお、相当因果関係、違法性等につき主張された事実も、関連性を有するので、これらを併せて検討することとする。
本件については、後記の証拠等により、次の事実が認められる。
1 し尿処理の技術水準について(三(被告らの主張)3(一)、四(被告らの主張に対する原告の認否及び反論)3)
松島清浄苑が計画、建設された昭和三九、四〇年ころ、窒素、リンを除去する第三次処理技術は、まだ開発されていなかった。松島清浄苑で用いられた活性汚泥による酸化処理方式のし尿処理機構は、その当時では進んだものであった。第三次処理の技術が確立されたのは、昭和四八年から五〇年ころである。しかし、四国四県では、昭和六二年になっても、第三次処理施設を採用する処理場が半数に満たず、充分普及していない状況にあった。
(<証拠略>)
2 松島清浄苑における第二次処理
松島清浄苑では、第二次処理において、曝気槽を二個設け、二回曝気する。
し尿処理方式について補足しておく。
本件し尿処理施設は酸化処理方式であり、そのし尿処理工程は次のとおりである。即ち、
バキューム車により収集されたし尿は、松島清浄苑の投入口から投入される。右し尿は、小石等が取り除かれたうえ、解砕機によって破砕され、貯留曝気槽に入り、更にし尿ポンプにより遠心分離機に送られる。遠心分離機内では、し尿は固形物と液体に分離され、固形物はスクリューコンベアにより運搬されて焼却炉に至り焼却される。
一方、分離液は、自然流下により分離液貯槽に入り、ここで二四時間曝気が行われ、スカムの防止脱臭及び酸化を行う。そして、分離液貯槽からポンプアップされて希釈調整槽に送られ、希釈調整槽で二〇倍の清水によって希釈調整された後、第一曝気槽に送られる。
希釈された分離液は、第一曝気槽内で八時間連続的に曝気され、同液中の有機物の酸化分解が行われる。この分解した有機物と液中の浮遊物質及び微生物群が凝集し、吸着性の活性汚泥となる。右の処理を行った処理液は第一沈殿池に送られ上澄液と活性汚泥とに分離される。
右上澄液は更にこれを第二曝気槽及び第二沈殿池に送り、前記の処理をくり返し行って、上澄液のみを取り出しこれを塩素減菌したうえ、処理水として放流することになる。なお、活性汚泥は濃縮槽より汚泥引抜ポンプにより汚泥脱水機に送られ、右脱水機によって脱水された汚泥ケーキとしてこれをベルトコンベアで焼却炉に運び、前記固形物と一緒に焼却する。
(<証拠略>)
3 松島清浄苑における法令の遵守状況(三(被告らの主張)2(一)(1))
昭和五〇年一月から五三年七月までの松島清浄苑の処理水の水質は、三3(一)項で認めたとおりである。これは、概ね水質汚濁防止法、廃棄物の処理及び清掃に関する法律、愛媛県公害防止条例(昭和五一年七月一日から適用)の定める基準を守っているが、違反したことも複数回ある。
4 し尿処理場設置の必要性(三(被告らの主張)2(一)(2)イ)
昭和二〇年代から三〇年代前半ころまでは、農家が肥料としてし尿を用いていたため、し尿処理場の必要はなかった。しかし、昭和三〇年代に化学肥料が普及し、し尿の需要が減る一方、家庭から排出されるし尿の量は増加した。このため、昭和三四年ころ、し尿を貯蔵するための貯溜槽が増設されたが、これも満杯となりその対応に窮するとともに、降水量の多い時期には田畑へ溢れ出ることがあった。このため稲熱病の発生を招きこれに対する苦情や周辺住民からの悪臭に関する苦情が絶えなかった。このような事態を解決するためには、し尿処理場を建設してこれに当るしか方法はなく、その建設が焦眉の急となり、被告両町は、昭和三九年一月、事務組合を設立し、し尿処理施設を建設して共同でし尿処理を行うことを決定したうえ、これに関する事務等を同組合に行わせることになった。
(<証拠略>)
5 し尿処理場設置場所及び放流場所、方法の決定過程及び時期(三(被告らの主張)2(一)(2)ロ)
当初処理場を陸側、山手側に建設する案もあったが、予定地の近隣又は下流となる住民から強い反対が出て実現できなかった。そこで、結局人家から離れた河口付近に建設することとなり、昭和三九年五月、現在の場所に建設することになった。その当時、付近住民から反対が出たが、説得の結果、了承が得られ、さきに認めたとおり、昭和四〇年二月に着工された。
また、排水の放流方法について、御荘漁協側が海への放流に強く反対し、衛生組合と長い間話し合った末、両者間で一旦合意に達していた陸側への放流または地下浸透方式は、具体的な設置場所を巡り、水源池などの関係で、御荘漁協側と衛生組合側との間に右合意が実現しなかった。そこで、さらに協議した結果、前記二で認めた位置で、地下浸透方式を採用することになった。
(<証拠略>)
6 場所的環境
昭和三六年以後、昭和四〇年秋に原告が試験養殖を始めるまで、青さのりを養殖していた業者はなかった。但し、蓮乗寺川河口と僧都川河口との間に存在した種付場において、高知県の下田漁業共同組合に属する養殖業者が、種付けのみ行っていた。御荘漁協関係者も、し尿処理場の設置場所が決定した当時、真珠貝への影響を懸念しており、のり養殖への影響は問題としていなかった。昭和四一年二月八日に行われたし尿処理施設放流水説明会において、問題となったのは、真珠貝への影響である。真珠貝の養殖いかだは、大島よりも湾口側に配置され、松島清浄苑とは距離を置いていた。
(<証拠略>)
7 昭和四〇年九月以後の原告の養殖事業について
(一) 原告が養殖を開始した事情(一(請求の原因)3(一)(1)ないし(3)、二(請求の原因に対する認否)3、三(被告らの主張)1(二)(3)、同2(一)(3))
原告は、昭和三〇年代半ばから、本件漁場で天然に発生するのりを採取していたが、これは御荘漁協の承諾を得て行われていたものであった。昭和四〇年ころ、原告は、当時御荘漁協の組合長であった小野山直喜から、のりの養殖を勧められ、昭和四〇年九月から翌年春まで試験養殖をしたところ、成績がよかったので、訴外長田昭一から御荘町長崎四八三番地の土地を買い受け、採取した青さのりの乾燥等のための機械設備を購入し、本格的に養殖を始めることとした。原告は、養殖の具体的な方法について、御荘漁協側からかなり指導を受けた。
(<証拠略>)
原告は、取得した用地はもと管理組合が水田化したもので、(<証拠略>により認められる。)、これを購入するに際して御荘町の仲介があったと主張し、それに沿うかのような証拠も存在する(<証拠略>)。しかしながら、土地の前主である訴外長田昭一が御荘町の公的な地位にあったとの証拠はないうえ、前記<証拠略>中にも、御荘町の関係者の関与について具体的な供述はない。よって、前記証拠は採用できず、原告が前記土地を取得するにあたり、御荘町の仲介を受けたと認めることはできない。
(二) 原告は、し尿又はその処理水が青さのりの養殖に有益と考え、し尿を生のままで海に流すよう衛生組合に申し出たものか(一(請求の原因)3(一)(4)及び(5)、二(請求の原因に対する認否)3、三(被告の主張)1(二)(3)、同2(一)(3)、四(被告らの主張に対する原告の反論及び認否)2(一)(3))
被告は、右のように主張し、これに沿う証拠としては、証人佐々木吉二郎の証言(<証拠略>)、証人濱本恵の証言(<証拠略>)及び<証拠略>がある。そして、のりの生育には、酸態窒素等栄養塩が必要であること(<証拠略>により認められる。)、青さのりに肥料を与える漁場もあり、本件漁場もかつてはそうしていたこと(<証拠略>により認められる。)、原告が青さのりの養殖を始める前から松島清浄苑が建設中であることを知っていたこと(<証拠略>により認められる。))、養殖の開始と松島清浄苑の竣工がほぼ同時期であることは、右主張に沿うかのようである。原告が、本件被害を被りながら速やかに衛生組合に苦情を申し入れたり本訴を提起したわけではない(弁論の全趣旨により認められる。)ことも、原告がし尿の有益性を信じたことの裏付けたりうる事実である。当時青さのりの養殖業者は原告のみであり、前項のとおり、御荘漁協は真珠養殖への危惧を抱いていたがのりについては何も問題にしていなかったから、原告が御荘漁協とは別に、自ら被告主張のような要請をする可能性は否定できない。
しかしながら、右事実を否定する証拠として、原告本人尋問の結果(<証拠略>)が存在する。右供述は、し尿処理場がのりの養殖に悪影響をもつのではないかとの話を聞き、漁協に問い合わせにいったところ、地下浸透方式をとるから影響はないといわれ、特に支障はないと考えたというものであり、やや一貫しない部分はあるが、全く不自然とはいえない。さらに、さきに認めたとおり、原告は、ヒトエグサの養殖を始めた昭和四〇年秋、網は五〇〇枚とし、毎年五〇〇枚増加させながら、昭和四三年秋以後二〇〇〇枚に増やしており、かなり慎重であって、この事実は、処理水が無害か有害か分からなかったという供述に沿うともいえる。なお、佐々木証言と濱本証言とでは、原告とし尿の放流の話をした場所や状況が違っており、濱本証人は、原告の来訪を受けたとの記録をとっていないと認められる(<証拠略>)から、被告主張に沿う供述に確たる裏付けがあるともいえない。
以上のとおり、原告がし尿を生のままで海に流すよう衛生組合に申し出たことを証明する証拠が存在するものの、右各供述証拠は重要な点で食違いが存するうえ、確実な裏付けまでは存在しないし、右事実を否定する相当の証拠もあるから、右事実を認めることはできない。
8 原告が御荘漁協の漁業権を行使する資格について(三(被告の主張)2(二)イ、四(被告らの主張に対する原告の認否及び反論)2(二))
原告は、昭和四一年一〇月一三日、御荘漁協に対し出資し、組合員資格を取得した。その後、漁業権使用料を支払い続けた。
ところが、御荘漁協は、原告の試験養殖開始(昭和四〇年九月)より前から、本件漁場等について有する漁業権を組合員に行使させるにあたり、漁業権行使規則を定め、漁業権を行使する資格を正組合員に限っていた。そして、定款上、正組合員は御荘町内に居住する者に限られていたところ、原告が御荘町内に住居を移したのは昭和四九年のことであり、先に認めたとおり(一2項)、准組合員から正組合員となったのは昭和五〇年一月三〇日である。
但し、原告は、前記漁業権行使規則に基づき青さのり養殖の停止や過怠金の支払を命じられたことはない。
(<証拠略>)
9 予見可能性及び予見の難易について
昭和三八年一一月、愛媛県新居浜市において、し尿処理場の排水がのりの養殖に影響するのではないかが問題とされた。広島市の内海水産研究所で調査した結果、昭和三九年三月、し尿が正常に処理されれば、排水を放流しても、三〇〇メートル以上離れたのり漁場には影響ないであろうとの報告が行われた。昭和三九年秋にも、新居浜市及び西条市の禎瑞において、し尿処理排水ののり養殖への影響が問題とされ、前記内海水産研究所で調査した結果、昭和四〇年六月、新居浜市については水質は問題なく、のりの成育そのものへの悪影響は考えられないとの報告がなされた。右報告は、付着直後ののり網に対して粘塊状らん藻類が網糸上に増殖し、のりの黒化を招いたと考えられ、排水の影響を受ける部分では育成漁場としてのみ用いるべきである、排水は、水の交換のよい水域に放流することが必要であると指摘している。
一方、昭和四〇年一二月一日、海苔養殖読本の著者である殖田三郎が、海苔タイムス(業界新聞)の紙上に、し尿処理場の排水は、海水による一〇〇倍以上の希釈を加えなければのり養殖に害を与える可能性が大きい旨の記事を発表した。
(<証拠略>)
そうすると、本件漁場は、昭和三〇年代にのり養殖の実績があり漁業権も設定され、松島清浄苑の着工時には種付けが行われていたところ、昭和三八、三九年ころ、愛媛県内においてし尿排水ののり養殖に対する影響が問題とされ、昭和四〇年六月、養殖網へのらん藻類の付着など、一定の影響らしきものが報告され、さらに同年一二月の海苔タイムスにおいて、排水の有害性についての論稿が発表されたというのであるから、少なくとも昭和四〇年末ころには、排水ののり養殖に対する影響を予見することは不可能ではなかったと認められる。しかしながら、新居浜や禎瑞の報告は、むしろ処理場の排水はのり養殖そのものに対しての影響は考えられないとしているし、先に認めたとおり、のりに下肥を施す漁場があったこと(7(二)項)、昭和五五年以後の時点でもヒトエグサの養殖に関する研究が充分出揃っておらず(三6(一)項)、まして昭和四〇年ころにし尿排水ののりへの影響について一致した見解が確立していたとは到底認められないことからすると、予見可能性は、かなり低いものであったというべきである。また、さきに認定したとおり、昭和三〇年代半ばころから原告が養殖を始めるまで、のり養殖(種付けは除く)を行う者はなく、御荘漁協は、松島清浄苑の本格操業に至るまで、真珠養殖への影響のみを問題としていた。さらに、御荘町が原告の用地取得を仲介した事実は認められず(7(一)項)、他に、原告が青さのりの養殖を始めること、それも御荘漁協の准組合員として行うことを、衛生組合や県が知っていたとの証拠はない。したがって、昭和四〇年秋より前に、衛生組合や県に対してのり養殖への影響につき予見を求めることは、かなり困難であるというべきである。
10 回避可能性及びその難易
回避措置としては、し尿処理場自体を別の場所に設置することがまず考えられる。
しかしながら、前記のとおり、し尿処理施設の必要性が高まる一方、松島清浄苑の設置場所の決定が難航したこと、昭和四〇年秋までのり養殖をする者がいなかったことから、本件漁場でののり養殖を想定して他の場所に松島清浄苑を設置することを求めるのは困難であったというべきである。
また、松島清浄苑の排水を他の場所に排出することは、付近の海域に多数の漁業権が存在し(<証拠略>により認められる。)、それとの調整が必要であると考えられること、経費面での負担も大きいこと(<証拠略>により認められる。)から、現実には困難であると認められる。
さらに、し尿処理場の排水は、生物に対して量のいかんを問わず有害なものを含むものではないと認められる(<証拠略>)から、第三次処理による脱窒ができなくても、淡水及び海水により充分希釈すれば、のりへの被害を防止できるものと推認できる(<証拠略>)。
しかしながら、さきに認めたとおり、し尿処理排水ののり養殖に対する影響については確立された見解がないのであるから、排水ののりへの影響の判断及び希釈等回避措置の決定などにも、困難が多いと考えられる。また、特定の業者に対する関係のみで、施設の改造等に多額の費用を費やすのを期待することにも無理がある。
このようにみてくると、本件の被害を回避することは、もともと極めて困難であったというべきである。
11 設置管理の瑕疵の判定
これまで認めたとおり、松島清浄苑には、第三次処理施設がないこと、協定違反の放流が行われたこと(三4項)、処理水中のCOD等の値が法律及び条例の基準を満たさなかったときがあること(三3(一)及び四3項)など、施設の運用に問題があったというべき事情が存在する。ことに、法律及び条例の基準は、排水そのものに対してではないにせよ、昭和四〇年に水産用水基準として農産物等との関係で厳しい基準が提唱されている事実(<証拠略>により認められる。)及び弁論の全趣旨から、厳格なものとまではいえないのであり、それが全体からみれば小さい割合であるにせよ遵守されなかった事実は、軽視することができない。また、本件被害を予見、回避することが不可能とはいえなかったのであり(9、10項)、先に認めたとおり、御荘湾は外洋からの海水の出入りが少ないのであるが、交換のよい水域への放流を提唱する<証拠略>に照らすと、このような地域に処理水を排出することは、問題がないとはいえない。これらの事実は、設置及び管理の瑕疵を肯定する方向に働く事実である。
更に、原告が処理水を積極的に利用しようとした事実は認められないし(7(2)項)、また御荘漁協に漁場使用料を支払い、漁協側から差し止められることなく養殖に従事してきたのであるから、実質は正当な権利の行使に近いということができ、漁業権行使規則の要件を満たさなかったという一事から即座に保護を否定されると解すべきではない(8項)。
しかしながら、松島清浄苑が建設された昭和四〇年代初頭には、第三次処理施設そのものがなく、愛媛県をはじめ四国においてはその後も充分普及していないのであるから、松島清浄苑がこれを設置しなかったこともやむをえないし(1項)、松島清浄苑には、当時としては進んだ設備を用い、曝気槽を二個設けるなど、し尿処理の水準をあげるように努めていること(2項)、排水が常時法令の基準に違反したわけではなく(三3項、3項)、本件漁場において、複数回の水質検査の結果、のりに対して明らかに有害と思われる数値を示すところまでは汚染が進んでいないこと(三6項)など、施設の設置、運用面で問題がないと思われる事情も多い。そして、昭和三〇年代の御荘、城辺町では、し尿の貯溜槽を増設してもし尿が頻繁に溢れることがあったというのであるから、し尿処理施設の設置には強い必要性があり、まさに住民の日常生活の維持存続に不可欠なものというべきであること(4項)、原告がのり養殖を始めたのが、松島清浄苑の着工から半年後であり、衛生組合側からみれば、青さのりの養殖に対する影響の予見が困難であったこと(9項)、設置場所の選定にあたってさまざまな問題があり、ほかの場所に設置することが難しかったと推認され、本件被害の回避が困難であったと思われること(5、10項)など、松島清浄苑が現在の場所に設置され、付近に排水を放流するのもまことにやむをえないものと考えられる。
もとより、国家賠償法二条に基づく損害賠償請求は、差止請求とは異なる事後的なものであり、刑事責任を追及するものでもないから、被害の原因となった行為が公共の利益を増進する場合であり、或は具体的な予見可能性や実現可能な回避措置が相当程度困難な場合であっても、特定人にのみ犠牲を強いて公平に反する結果を招いた場合には、損害賠償責任を肯定する余地があるというべきであり、本件のように、公共団体の積極的な作為が少なくとも一因となって被害を引き起こした場合には、被害者自身や自然力が被害の主たる原因であり公共団体がこれを防止できなかったような事例に比べて、損害賠償責任を肯定されることが多いものと解される。
しかしながら、原告も御荘町に居住または現在する者として、し尿処理サービスの恩恵を受けているというべきこと、本件で主張されているのが財産的な被害にとどまること、原告は松島清浄苑が設置される以前から、御荘町に居住していたわけではなく、また本件漁場で操業していたものでもないから、衛生組合の行為によってその生活基盤を奪われたという関係にはないことなどをも考慮し、上記のような施設の運用状況や必要性、予見・回避可能性の困難さにも鑑みれば、特定人に犠牲を強いて公平に反する結果を招いたものとまではいうことができない。したがって、設置及び管理の瑕疵を肯定することはできない。
よって、事務組合は、国家賠償法二条に基づく責任を負わない。
五 事務組合の職員が、原告に対し、故意または過失に基づき、違法に損害を与えたものかどうかについて判断する。
事務組合の職員が、青さのり養殖に被害を与えることを認識して松島清浄苑を設置、操業したことを認めるに足りる証拠はない。過失について、さきに検討したとおり、予見可能性及び回避可能性が極めて少ないのであるから、予見、回避義務を課することにはかなり無理があり、過失を認めることは困難である。また、違法性についても、さきに検討したとおり、し尿処理場設置の必要性、現在の場所に決められた事情、運用状況等、原告側の損害の性質、漁業権行使資格等を考慮すると、処理水の水質が法律及び条例の基準を満たさなかったことがあること等に問題はあるにせよ、侵害行為の態様が格段に悪質とも、被侵害利益が特に厚い保護に値するともいいがたい本件においては、結局違法性も肯定し難いというべきである。このように、過失、違法性ともに認めるのが困難であるから、国家賠償法一条の責任は肯定できないというべきである。
六 結論
そうすると、原告の被告御荘町及び同城辺町に対する請求は、そのほかの点について判断するまでもなく、理由がない。原告の被告愛媛県に対する請求も、停止すべき違法行為がないこととなるから、その前提を欠き、理由がない。
そこで、原告の被告らに対する請求をいずれも棄却することとし、訴訟費用の負担について民事訴訟法八九条を適用し、主文のとおり判決する。
(裁判官 八束和廣 細井正弘 久留島群一)
別表1、別表2、別図、別表一、図1、図2、別表二<略>